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雑感

「高校野球の経験なしにはM&Aの世界で勝負できなかった」(NewsPicks甲子園100周年記念特集)

2015年07月30日

【リード】(NewsPicks掲載のフルバージョン版)
「野球が、私を作りあげたんです」――そう語る表情に、一点の曇りもない。日本のM&Aの実務と研究の第一人者として活躍するインテグラル代表・佐山展生は、ビジネスパーソンとして、自身の根底にあるのは野球の経験だと断言してはばからない。スカイマークの支援や阪急・阪神統合など、常にシビアな現場で闘い続けている注目の経営者は、甲子園を目指した高校時代に取り組んだ野球から何を学んだのだろうか。その思いを聞いた。

【本文】
◎佐山展生を作り上げたのは高校野球

甲子園というと、一握りの強豪校やスーパープレイヤーが注目を集めますが、大多数は、勉学との両立に悩みながら甲子園を夢見て野球を続けているのを忘れないでください。京都市の母校の洛星高校はまさにそういう学校であり野球部です。今日、私が何とか生きているのは、まさしく野球をしていたおかげです。野球を通じいかに多くのことを学ぶことができたかを少しでも分かっていただければ幸いです。野球で身を立てていこうとは思っていない大多数の高校生の視点でも「甲子園」は重要だと思います。

私が社会に出て人生の岐路に立つ度、思い切った決断をさせてくれたのは高校野球で培った体力と精神力でした。高校時代に体力と精神力を養ったからこそ、これまで数々の修羅場をくぐり抜けることができたと思っています。

高校野球の経験が仕事でどのように役に立ったか? この質問に答えるなら、「すべて」です。今の私は野球なしにはありません。毎日グラウンドで白球を追いかけた経験がなければ、きっと何度も挫折した挙句、どこかで野垂れ死んでいたでしょう。

33歳で帝人を辞めて三井銀行(現三井住友銀行)に入ると言った時には、周囲の全員に反対されました。若い皆さんには想像ができないかも知れませんが、当時は転職自体のなかった時代ですし、職種も銀行はそれまでの技術系とは全く違います。何が不満なんだと言われました。しかし、面接で「M&A」という言葉を初めて聞いて、「『M&A』は面白そう」という思いのみで転職を決めました。当時、こいつは何を考えてるんだろうと周囲は思ったと思います。

30歳になって、大企業で定年までいるのが自分の人生ではないと悟って、司法試験の勉強に真剣に取り組んでいた中での転職。その際、銀行でうまくいく確率はと聞かれていたら5%未満だと答えていたでしょう。しかしもし銀行でだめだったら道路工事や夜警のアルバイトをしながら司法試験に集中しようと思っていました。また、実際にやり抜く自信もありました。そうやってみんなが何を考えているんだという選択肢を選んでその道を貫き通すことができたのは、高校野球で培った体力と気力があったからこそだと思います。

クラウン・リーシング、阪急・阪神統合やスカイマークの案件もそうですが、本当に厳しいM&Aの現場では、毎日色々な予想外の難局が待っています。何回もジェットコースターのように状況が変化しますが、案件が潰れそうなときに如何に踏ん張るかが勝負で、調印するまでその連続です。回りがもうダメだと言っても、1%でも可能性が残っていれば、自分だけは「いや、まだやれる」としぶとく食い下がらないとM&Aはやり切れません。

阪急・阪神統合など難しい案件においては、取組み始めた時は「1%未満の成功確率」という状況からスタートします。そんなに確率が低くても取り組んだのは、勝負は最後の最後まで何が起こるかわからないからです。ビジネスにおいて粘っこく真剣勝負し続けられるのは、ゲームセットになるまで何があるか分からない、また勝てそうにない相手にも勝つことがある等の野球の経験がなければなかったことだと思います。

結局、野球のチームも会社も同じで、リーダーで決まります。メンバーを本気にさせる組織が強いわけです。チームメイトをどれだけ本気にさせることができるか。それを野球のキャプテン時代に経験していたことは、後で振り返ると得難い経験でした。

そのため、私がビジネスについて語る時には野球のたとえが非常に多くなります。これまでの経験を忘れないように色々と書き留めていて、大学の授業やセミナーでそのお話をしますが、それをご覧になると本当に今の私が野球で作られているのかが分かると思います。これから高校時代を振り返りながら、いくつか紹介していきます(以下、強調部分)。

◎野球に明け暮れた中学・高校時代
私は京都の洛星中学校に入学してから、中1の4月から本格的に野球を始めました。中高一貫校だったので、そのまま洛星高校に進学。高校では、上級生が大勢いたので、最初は殆どがボール拾いとグランド整備の毎日。大勢いた上級生の抜けた2年生の秋にやっとレギュラーになりました。秋は2番で春と夏は1番・ショートです。足は速い方で、内野ゴロの捕球とバントには絶対の自信がありました。

練習は毎朝7時からの朝練、昼のグランド整備、そして放課後は日が暮れるまで練習、休みは正月の3が日だけ。毎日がそんな生活だったので、家に帰るとへとへとで、お腹が空いているのですが、食べていても寝てしまいます。眠くて仕方がないので、とりあえずまず寝て、夜中に起きてご飯を食べていたのを思い出します。苦しくても耐え抜いた練習、そこで培われた体力と気力が今の私を作っています。当時まだ大学を出て2年目と若かった西野文雄監督からは、中1の4月の入部直後から6年間ずっと何度も次の2つのことを言われ続けました。「きちんと挨拶をすること」「高校3年生の夏までやり抜くこと」。これが社会に出たら必ず生きると伝えられました。当時は「何を言っているのだろう」とどうして社会に出て野球が役に立つのか分かりませんでしたが、社会に出てみるとまさに実感しました。

夏の甲子園予選が終わって、大勢の上級生が引退した2年の8月にキャプテンになりました。同級生の2年が5人、1年が4人の9人ぎりぎりでした。このキャプテンの経験は非常に大きかったです。神様のように絶対的な監督と、不満を言うメンバーとの板挟みになるうえ、監督がいない時にはみんなを引っ張っていかなければなりません。まさに会社の中間管理職のような存在です。上手くいかないことの方も多く結構しんどかったですが、一生懸命に取り組んだ経験が、間違いなく今につながっています。

高2の秋の新人戦は、予選リーグを大谷高校に次いで2位で勝ち上がり、京都府のベスト8をかけた試合で確か3対1で宮津高校に敗れました。宮津高校の速石投手のコントロールのいいピッチングを今でも覚えています。秋の大会が終わり、元々同級生が5人しかいなかったのに、私以外の4人が、受験勉強を理由に全員辞めてしまい、冬の走り込みの期間は同学年は私一人になってしまいました。受験校だけに心が揺れましたし、新1年生が大勢練習に参加してきて、本当に苦しい冬の練習でした。その後、辞めた同級生の内、エースの豊田暁君と大西哲也君が3月にチームに戻ってきてくれました。戻ってきてくれた二人も、野球を続けたいという思いが心の底にはあったのでしょう。しかし、彼らが戻ってくるまで、春に2年になる4名と1年になる10数名も加えたメンバーと走り込んだ冬の間、新高3、1人で乗り切ったのは本当にかなりしんどい経験でした。冬の練習は、白梅町の近くにあるグランドから、広沢の池に走りに行ったり、校舎の周囲を何周も走ったりしましたが、校舎の周囲を回るときは競争で、常に1番でゴールするように心がけていました。確か、最後の日に2年下の新1年生(後に主将になる岡本肇君)に最後のダッシュで抜かれて悔しい思いをしたのを覚えています。とにかく、冬の間、一生懸命に走りこみました。進学校だったので、周囲からは「あいつら、勉強もせずにいつまで野球ばっかりやってるんや」と思われていたと思いますが、受験勉強なんかやればできると思っていたので、そんなことは気にもせず冬の間走りこんで、高校3年生を迎えました。

春の大会は、塔南高校と対戦しました。相手は当時いわゆる強豪校ではなかったので勝つつもりだったのですが、10−0でコールド負け。不甲斐ない結果でした。私の野球人生の中で、中学から大学まで、恐らく、公式戦でエラーをしたのはこの試合だけだったと思います。しかも2つ。ショート後方の内野フライを落球したほか、ゴロを一塁に暴投しました。すべてがうまくいきませんでした。

先輩も大勢応援に来てくれていた中で、ふがいない敗戦。辛い冬を乗り切ったのに、また大勢応援に来てくれたのに、その結果が惨敗。悔しくて、悔しくて、泣けて、泣けて、涙が止まりませんでした。今でも、そのときを思い出すと涙が出てきます。

◎夏の地方大会で優勝候補を撃破し準々決勝へ

高3の夏の大会前に、西京商業(現西京高校、72年巨人1位指名の中井康之投手他を輩出)と一緒に、バスで金沢に遠征に行きました。夜に宿舎に着いて、率先してトランプをしていたら、コーチの先輩にひどく叱られました。「西京商業のみんなは素振りしてるんやぞ。おまえら、何しに来たと思ってるんや。」主将としてみんなに素振りをさせないといけない立場なのに、先頭に立ってトランプをしていた私は、非常に恥ずかしい思いをしました。しかし、翌日の2試合は、確か、金沢市立工業に3対3の引き分け、金沢商業には6対0で完封勝ちで、西京商業よりもいい成績で、気分よく、西京商業の選手たちとバスで京都まで帰ってきたのを覚えています。

そして夏の京都府予選では、7月21日第一試合の1回戦は洛東高校に6対1で勝ち、その後、雨が続き、2回戦は7月28日第二試合、炎天下の水産高校(現海洋高校)戦でした。水産高校はみんなそれまで聞いたこともなく、自分達にそんな力もないのになめていたのでしょう、4回の表に8点入れ、10対0とリードした4回裏に四球とエラーも重なり6点取られ混戦になり、結局12対8で勝つことは勝ちましたが、すっきりしないゲームでした。試合が終わって両チームがホームベース上で整列した時、主審の当時審判部長の村斉さんから、洛星の方にだけ向いて、「君たちが模範を示さないと誰が示すんだ」と叱られました。野球の試合で主審に叱られるほどでしたから、監督からはひどく叱られたのは言うまでもありません。

そして翌日29日、前日の試合終了から15時間くらいしか経っていない第一試合、3回戦で優勝候補筆頭・大谷高校でした。平安高校が不祥事で出場しなかった大会で、大谷高校は優勝候補の断然トップ。朝日新聞の夏の高校野球特集の1面が大きなカラーの大谷高校ナインの写真でした。対する私たちは、硬式野球ではまったくの新興校。軟式から硬式野球部になってまだ3年しか経っていません。誰も勝てると思っていなかったし、大谷高校も負けるはずがないと思っていたでしょう。

この試合が高校生活の最後の試合になるとの思いで本当に無欲で臨みました。そのせいか、熊本投手の速球のキレが良かったのを覚えているくらいで、試合中の記憶はあまりありません。9回裏のショートの守りにつく時に「あれ、2対0で勝っている」と初めて気が付きましたが、今度気が付くとノーアウト満塁のピンチになっていました。8番バッターが三振し、左打ちの9番バッターが打席に入り、次の1番田中選手がベンチ前で素振りをしていました。田中選手は、見ただけで野球センスを感じる選手で、やはり大谷は強かった、やられたなと思いました。しかし、9番バッターは2塁ベース寄りのセカンドゴロ。セカンドのトスを受け一塁に投げてダブルプレー、試合終了となりました。必死で走ってくる一塁ランナーの熊本投手の顔を今でもはっきり覚えています。優勝候補を完封し、球場が湧きたったのを覚えています。

次のベスト4を懸けた準々決勝は3日連続の3連戦で7月29日第三試合、強豪の花園高校(元大洋ホエールズ(現DeNA)の齊藤明雄投手は、76年大洋の1位指名で、1年下でしたが、この試合ではベンチにも入っていなかったと思います)。この試合、7回表まで6対0で勝っていて、豊田投手も調子が良く、その時までノーヒットノーラン。しかし直後の7回の裏、花園の選手がバットを振らなくなりました。フルカウントまでいきますが、きわどいボールは全部ボールで七連続四球。ヒットも打たれ、6対6の同点になってしまいました。(岡崎具樹捕手が、きわどいボール全部入っていると言っていたので、試合後、コーチが主審に抗議した程です。高校野球で主審に抗議することなどありません。そのときの主審の答えは、「全部ボール3分の1外れていた」というもので、新興校と古豪の差による不公平な判定ではなかったかと今でも洛星野球部では語り草になっています。)それでも、8回の表に1点を勝ち越し、迎えた9回表、ノーアウト1、2塁で私に回ってきました。私の打順は1番、野球を知っている人なら、誰が考えても送りバントです。ベンチを見ると、監督は「打て」のサイン。この試合、たまたま2本ヒットを打っていたので、次の球、思い切りバットを振りました。手ごたえは十分。今でもその感触を覚えています。しかし、結果はライトライナーで、ランナー二人が走っていてダブルプレー。結局、チャンスを生かせませんでした。ベンチに戻ると、監督から「どこ見とるんじゃ!」と怒られました。サインは、バントエンドラン(走者は走り、打者はどんな球でもバントする)だったのです。そう言えば、中1から前日までずっと監督がサインを出していたのですが、この試合前の円陣で、今日は監督ではなくマネージャーがサインを出すことを伝えられていたのを完全に忘れていました。中学から大学まで、サインを見逃したのは、これが最初で最後でした。

そして、9回裏、無死1塁で、おあつらえ向きのダブルプレーコースのサードゴロをセカンドに暴投、2・3塁、そこでレスト前にヒットを打たれ、逆転サヨナラ負け。私達の高校野球はベスト8で幕を閉じました。

◎夏の大会から得た勝負の摂理

そのときは分かりませんでしたが、社会に出て色々な経験を積んで、大谷高校との試合からは、「人間の力には、それほど差はない」ということを学んだのだと思いました。実力で言えば彼らの方が圧倒的に上なのですが、勝敗は実力だけで決まる訳ではないのです。スポーツを経験された方ならわかると思いますが、強いチームの選手は、グランドに出てきただけで「うまい」「強い」感じを醸し出しています。まさに大谷高校の選手たちは、強豪校そのものでした。しかし、実力では明らかに劣っていても勝利した。実力だけで勝負は決まらない、「気持ち」の大切さを教えてもらいました。無心に相手にぶつかれば、勝機は訪れます。「『弱いと思っていたもの』が『強いと思っていたもの』に勝つ、そこに勝負の醍醐味と興奮がある」のです。ビジネスでも同じです。最後まであきらめず、無心に立ち合う姿勢が勝利を呼び込みます。また、「勝てると思うから隙ができる」、結果が出るまで集中することが重要です。

そして、最後の花園高校の試合で得た教訓は、「負ける時は原因が一つではない」ということ。7回表にバントのとてもうまい同級生がスクイズを空振りしました。追加点を入れていれば7対0で7回コールドゲームになっていましたし、主審の判定がもう少しフェアなら、私がサイン見落としをしていなければ、最終回にセカンドに暴投していなければ……挙げるといくつもの敗因がありました。「事故や敗戦の原因は一つではない。いくつものミスが重なって事故や敗戦につながる」ことを教えてくれました。

もちろん、高校生の頃にはこのような分析はできませんでしたが、社会に出ていくつもの壁にぶつかり、野球で得た経験とつながるようになりました。ビジネスと野球は驚くほど共通点があります。野球で負けた時の悔しさから「勝負は僅差でも勝たんとあかん」ということも学びました。野球もビジネスも善戦してもだめ。結果を出してなんぼだと思っています。

◎甲子園が、甲子園らしくあるために

私にとって甲子園は、夢や憧れというにはおこがましいほど遠い彼方の存在でした。ただ一瞬だけですが、3年の夏に、それが手に届くかもしれないと思えました。その年に優勝したのは、決勝で花園を下した宮津高校でした。あのまま勝ち進めば、2回戦、3回戦、準々決勝、準決勝、決勝、そして京滋大会と何と6連戦になっていました。結局、宮津高校も、1日休んでいた滋賀県予選優勝の比叡山高校に負けて京滋の代表になれませんでした。

今年で高校野球が100周年を迎えますが、甲子園の夏の大会における優勝が頂点だということは変わってほしくありませんし、最後の夏にすべてを懸ける球児たちの全力プレーを、いつまでも見たいと思います。

ただ、そのためには、これまで指摘されている問題も含め甲子園のあり方を変える必要があると思います。

1.過密スケジュールの改善

当時、私たちが甲子園に出場するためには、2回戦、3回戦、準々決勝、準決勝、決勝、そして京滋大会と何と6連戦になっていました。結局、京都府優勝の宮津高校も、1日休んでいた滋賀県予選優勝の比叡山高校に負けてしまいました。6連戦は、特に投手には過酷すぎます。現在はそこまでの連戦は珍しくなりましたが、投手にとっての負担はいまだに大きいままです。

甲子園大会は、夏休みの特定の期間に日程が押し込められていますが、これは夏休みを活用しようというある意味「大人の都合」で決まっています。今年の京都府大会は、7月11日(土)から始まっています。もっと前倒しで、
@ 6月下旬からスタートする。
A 平日の夕方の試合も入れる。
B 最初は近隣地区同士の対戦にし、球場までの移動時間を短くする。
6月下旬から日曜祝日に加え平日の午後もやれば、特に準々決勝後の試合の間隔も取れるようになります。

2.勉強等と両立しながら練習に励む球児にもスポットを当てる。

甲子園というとどうしても、ほんの一握りの強豪校やスタープレイヤーが注目を集めますが、大多数の高校生は、将来、野球で生計を立てるのではないが、野球に真剣に取り組んでいる学生です。それでも、野球の特別枠で選手を集めている強豪校を相手に彼らに挑戦している選手たちが大多数です。春の甲子園には、秋の大会の記録を参考に「21世紀枠」があり、そのような高校が甲子園に出て、なかなか健闘しています。夏にも、何校か「21世紀枠」を設定するとそのような学生の励みになると思います。勉学との両立に悩みながら野球に打ち込んでいる学生に大きな希望を与えると思います。

いよいよ、今年もまた甲子園が開幕します。皆さんには、一握りの強豪校やその注目選手だけでなく、ぜひ出場している選手ひとり一人に思いをはせていただきたいと思います。たとえ一打席だけの出場で三振に終わっても、ベンチで声を出して出場機会のなかった選手たちも、ベンチにも入れないで応援席でユニフォームを着て大声で応援している選手たちも、彼らは厳しい練習に耐え、苦しさを乗り越えて、グランドだけではなく、応援席で、晴れの舞台に立っています。勝ち負けを越えた高校生活の集大成を見てほしいと思います。元高校球児として、高校野球に力いっぱい取り組んだ高校生が、そこで得たものを生かして、将来、力強く生き抜いていくことを心から祈らずにはいられません。全力投球した高校球児に幸あれと願いたいと思います。

(追記)
今年の68校参加の京都市中学校野球夏季大会で母校の洛星中学が39年ぶり2回目の優勝を果たしました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kyotochugaku-yakyu/kyoto.html 
http://www.rakusei-baseball.net/index.html 
7月29日(水)京都府大会準々決勝、西京極中学に勝ちましたが、30日(木)準決勝は、残念ながら優勝した詳徳中学に敗れました。中学も優勝するには2日間で3試合です。洛星中学の選手のみんなが、高3の夏まで続けて甲子園に出場することを心より願ってやみません。
(了)



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